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50代からの投資宣言~投資資産だけで1億円を目指す~

2025年9月の誕生日で、ついに50歳になりました。

気がつけば50代――。
仕事も家庭も落ち着き、子どもたちも自立の準備が進む中、ふと「これからの人生をどう豊かに生きるか」ということを考える時間が増えました。

若い頃は、仕事で成果を出すことに全力を注ぎ、夜遅くまで働く日々。挑戦の先に得られる達成感に夢中でした。結婚、子育て、マイホーム、そして大企業への転職――いわゆる「安定」と呼ばれる生活を手に入れ、仕事と家庭のバランスが整った毎日を送ってきました。

子育てや住宅ローンなどのピークを越えた今、私の頭の中には次の目標が芽生えています――「自分らしく、好きなことを思い切り楽しむ人生」を実現したいという野心です。健康で、趣味も仕事も充実させながら、経済的な自由も手に入れたい。

そのための手段として、私は「投資」に真剣に向き合う決意をしました。副業や起業も視野に入れながら、自分の手で豊かな未来を描き出す――50代からでも挑戦は遅くないと信じています。

目次

50代からの投資や副業・起業を考えた「きっかけ」

投資に目覚めた2冊の本との出会い

私は本を読むのが好きで、これまでも仕事に関係する本を手に取ることが多くありました。
そんなある日、本屋でなんとなく目に止まったのが、『5年で1億貯める株式投資 給料に手をつけず爆速でお金を増やす4つの投資法』です。

「給料に手をつけずに資産を増やす」という具体的な方法が書かれており、読んでみるとすぐに参考になるポイントが多く、さっそく自分の投資に活かしてみようと思いました。

もちろん全てをマネするような投資ではなく、『5年で1億貯める株式投資 給料に手をつけず爆速でお金を増やす4つの投資法』に書かれている投資法から参考になる部分を自分なりに活用して投資してみました。

2025年は約300万円を投資して、現在約50万円の利益が出ています。

ただ『5年で1億貯める株式投資 給料に手をつけず爆速でお金を増やす4つの投資法』では2年で300万円を3,000万円にした投資が紹介されていたので、まだまだ『5年で1億貯める株式投資 給料に手をつけず爆速でお金を増やす4つの投資法』に書かれている投資法を活かしきれていないのだと思います。

50歳の誕生月に出会った『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』

そして50歳になる誕生月の9月、出会ったのがもう1冊の本、『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』です。著者の「たーちゃん」さんは、たぶん私と同じ年齢で、癌に罹患した経験を持ち、お子さんたちに資産形成の知恵を伝えようとする「遺書」のような書籍でした。

著:たーちゃん
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『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』著者の「たーちゃん」さんが、同じ年齢で、お子さんたちに資産形成の知恵を残してあげたいと思う気持ちが、投資に関する内容以上に私には刺激になった気がしています。

『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』著者の「たーちゃん」さんが、同じ年齢で、お子さんたちに資産形成の知恵を残してあげたいと思う気持ちが、私に刺さったのには、私自身も近い体験があったことも関係していると思います。

今年は、大学4年生の長男の就職活動を応援した年でもありました。相談されたとき、私はただ話を聞くだけではなく、これまでの自身の経験をもとに全力でアドバイスをしました。

私は今の会社に入社する2008年までの6年間、人材サービス会社に勤務していました。人材紹介サービスの新規事業立ち上げに携わり、最終的には人材紹介事業の責任者も務めました。その間、約2,000人の転職希望者のサポートを行い、多くの大企業からスタートアップ企業の経営者や人事担当者の相談にも乗ってきました。この経験を活かし、息子の社会人人生のスタートを少しでも良いものにしたいと考えて支援したのです(詳細は別の記事で紹介します)。

その結果、息子は多くの企業から内定を受け、最終的には第一希望の企業に就職することができました。

この経験を通じて、「たーちゃん」さんがお子さんたちに自分の経験から得られた知恵を残したいと考えた気持ちに、私は強く共感しました。

長男の世界一周旅行から刺激を受ける

就職活動を無事に終えた長男に、私は学生最後の夏休みを活用しての「世界一周」を勧めました。

私が薦めたのは夏休みを活用しての旅でしたが、息子は少し期間を延長して約3か月の旅にしました。ちなみに、大学入学時から単位は早めに取るように伝えていたので、出発直後に「卒業に必要な単位が取得できた」と連絡があり、安心して旅を見守ることができました。

私が息子に薦めた旅は単なる観光旅行ではなく、現地の人々との交流や文化体験も含めたものです。私の海外の友人たちにも協力してもらい、彼が現地で自宅に泊めてもらえるよう手配もしました。

就職前のこのタイミングで、自分の目で世界を見て、肌で感じる経験をして欲しい――そんな思いで提案した旅でした。旅の様子は長男がInstagramで日々配信してくれているので、私もリアルタイムで彼の体験を追うことができました。正直に言うと、とても羨ましい気持ちになりました。

スイスのマッターホルンは動画を観ていて行きたくなりました…

「俺も世界を旅してみたい――」
その気持ちは、50代の私にとって、これからの人生をどう豊かに生きるかを考えるきっかけになりました。子どもの自由な挑戦を見守ることで、自分自身も新しい挑戦への一歩を踏み出す勇気をもらえた瞬間だったのです。

バブルの記憶と投資の原体験

私が小学生の頃、日本はまさにバブル景気の真っただ中でした。テレビでは「土地や株式は必ず上がる」といった言葉が日常的に流れていました。子どもながらにその熱狂的な雰囲気を肌で感じ、「お金って面白い」と思ったことを覚えています。

当時、子どもたちに大人気だった家庭用ゲーム機、ファミリーコンピューター(通称ファミコン)にも、株式投資をテーマにしたゲームが登場していました。実は私もそのゲームを持っていて、小学生ながら「大人になったら本物の株式投資をやってみたい」と夢中になっていたのです。ゲームの中で株価が上がったり下がったりするのを体験しながら、株式投資への興味は自然と育っていきました。

父親も「不動産や株は購入しておけば必ず上がる」とよく話していました。父自身もいくつかの投資を行っていましたが、バブル崩壊で少し火傷をした経験もあったようです。それでも、堅実な会社経営者でもあった父は、家庭や会社が危うくなるような事態には至らず、私たち家族には安定した生活を守ってくれていました。

しかし、バブルが崩壊すると状況は一変しました。株や不動産に手を出していた人々は大きな損失を抱え、メディアでも「投資は素人が手を出すものではない」といった声があふれました。私の両親も例外ではなく、「投資なんて簡単に儲かるものじゃない」と口にするようになりました。小学生の私にとっては少し寂しくもありましたが、同時に「お金には怖さがある」ということも自然に学ぶ機会になったのです。

今振り返ってみると、あのバブルの時期に見た光景や経験は、私にとって大きな原体験になっています。「お金で失敗すると、一生を棒に振るかもしれない」という感覚は、子ども心に刻まれたまま、大人になってからの投資への姿勢にも影響したのではないかと思います。

私と同世代の方々は、同じように「バブルの熱狂とその後の失われた30年と言われる時期」を経験しました。あの時の記憶は、投資を考えた時に大きな足かせになっているのではないかとも思います。

これまでの投資経験と現在の投資資産状況

就職して給料をもらえるようになると私は自然と投資をはじめていました。

子どもの頃に抱いた「お金で失敗すると一生を棒に振るかもしれない」という感覚はあったと思うのですが、はじめていました。

どのような経緯で投資をはじめたのか、全く記憶にないのですが私が初めて口座を開設したのは「リテラ・クレア証券」という今はなき証券会社でした。

Wikipediaによると「リテラ・クレア証券」は元々「今川三澤屋証券」で「リテラ・クレア証券」に商号変更したのが2001年で、2003年には不祥事をおこしているようなので、たぶん私が投資を開始したのは2001年か2002年のことだったのだと思います。

株式投資の思い出:雪印集団食中毒事件

今でも覚えているのが雪印株です。

こちらもWikipediaによると2000年6月から7月にかけて雪印が集団食中毒事件を発生させて株価が大暴落しました。

私は子供のころから雪印の「牛乳」や「コーヒー牛乳」で育ったと言っても過言ではないくらい、愛飲していました。

雪印の価値が「集団食中毒事件」で、ここまで低く見られるのはおかしいと思って株を購入したのを覚えています。

正確に「いくら購入」したのか、「いくら利益が出たのか」は覚えていませんが、「儲かった」と心から思える程度の金額の利益が出たのを覚えています。

私が思っていた通りに株価が動いたこともあり

何か事件なので不当に低く価値を下げられている場合は株価は戻る

と株式投資の勝ち筋を見つけた気になってしまいました…

株式投資の思い出:社長の暴力事件で株価暴落

しかし、投資は決して順風満帆ではありませんでした。

何か事件なので不当に低く価値を下げられている場合は株価は戻る

と言う勝ち筋に「ぴったり」な株を発見したのです。

会社名など完全に忘れてしまったのですが社長が暴力事件を起こして株価が急落している株を見つけました。

社長が暴力事件を起こしただけで、直近の決算では売上も利益も伸びているじゃないか!!

「これは、いまから仕込んでおけば必ず戻る」

そんな思いから、雪印株で得た利益などを全て投入したと記憶しています。

今にして思うと「アホ」過ぎるんですが、社長が暴力事件を起こすような会社と取引を継続する会社も多くなかったんだと思います。
株価は下がり続けて、結局上場廃止になってしまいました。

上場廃止になった株は市場では売買できず、自宅に株券が郵送されてきたのを覚えています。

正に株券が「紙屑」になった瞬間でした。

何か事件なので不当に低く価値を下げられている場合は株価は戻る

と言う神話は一瞬にして砕け散ってしまいました苦笑

株式投資の思い出:目をつけていた株が急騰…

株券が紙屑になってしまう経験をして、私の株式投資への自信はなくなってしまいました。

当時は単位株の関係で最低でも数十万円の資金がないと投資が出来ないケースが多かったのですが、「建設会社株」(確か熊谷組)が2-3万円で買える状況だった気がします。

「買おうかな?」「やめておこうかな?」と数日悩んでいると、確か「公的資金の注入が決まった」かなんかだったと思いますが、数日で数十倍の株価になってしまいました。

この経験からは、特に学びはありませんでしたが

とにかく悔しかったのを覚えています。

投資をはじめて20年以上、現在の投資資産は?

私は2001年か2002年頃に株式投資を開始したと思われるので、投資歴はなんと20年以上…

株式だけではなく「FX」や「投資信託」などもおこないました。

ここ数年は「投資信託」を中心に投資をしてきました。

「投資信託」は手はかからないし、毎年10万円~30万円くらいの利益が出ていたと思うので、とても好印象な投資です。

NISAがはじまってからは「S&P」や「オルカン」などの「投資信託」でしっかり稼がせてもらいました。

また「アメリカ株」投資にも挑戦して、最初に買った「Amazon」と「Alphabet(アルファベット)=google」が、どちらも2倍以上になりました。

尚、昨年までは楽天証券をNISA用の口座として使っていましたが、現在はSBI証券に移しました。理由は、三井住友カードを使って積立投資をするとポイントが貯まる制度があり、その上限が10万円に拡大されたためです。どうせ同じ投資をするなら、少しでもお得な仕組みを活用したいと思ったのがきっかけでした。

ただ、NISA口座の移管は想像以上に時間がかかりました。
昨年の10月頃に手続きを始めたものの、最終的に完了したのは今年の2月末。およそ4か月かかり、その間は新しい投資を始められず、少しもどかしい思いをしました。

NISA口座は1つの証券会社でしか開設できないので、どこの証券会社にしようか検討中の場合は複数の証券会社の口座での運用を試してみてから、どの証券会社をNISA口座にするのか決めても遅くないと思います。

それくらいNISA口座の移管は大変でした。

ちなみに「楽天証券」と「SBI証券」の両方を使って感じたのは、それぞれに一長一短があるということです。
たとえば、株式のリサーチをする際は今でも楽天証券の「スーパースクリーナー」を愛用しています。条件を細かく設定して銘柄を探せる機能が非常に優秀で、操作にも慣れています。
一方で、SBI証券は積立系の機能が圧倒的に充実しています。自動積立の設定やポイント連携も使いやすく、今後はFXの積立投資
も検討しています。

そんなわけで、現在の私の投資資産は約700万円ほどです。
大きな金額ではありませんが、ここ数年は着実に右肩上がりで増えています。焦らず、学びながら、少しづつ投資の比率を高めていこうと考えています。

今後は、このメディアを通じて私自身の投資資産の増減をリアルタイムで公開していく予定です。成功も失敗も含めた“等身大の50代の投資記録”として、同じようにこれから投資を始めようとしている方の参考になれば嬉しいです。

私の「投資宣言」 ―人生を最期まで輝かせるために

これまでの人生では、仕事を最優先にしてきた気がします。
そして家族ですね、子どもの育児は妻に任せきりにしてしまった面がありますが、教育に関しては、しっかりサポート出来ていると考えています。

そして気がつけば50代。子育ても一区切りつき、ようやく自分の人生を見つめ直す時間が生まれました。

投資を続ける理由を一言でいえば、「お金のため」ではなく「自由のため」です。
自由な時間、自由な場所、そしてやりたいことを我慢しない自由。

私にとって“やりたいこと”の一つが、世界一周の旅となりました。
今回、息子には学生最後の夏の挑戦として、スターアライアンスの世界一周航空券をプレゼントしました。
(エコノミークラスなら、燃油サーチャージや空港利用料込みで60万円台から購入できました。)

いつか自分自身も、世界一周に旅立ちたい(そして、どうせならファーストクラスの世界一周航空券で)
その時は、妻と一緒にゆっくり世界を巡りながら、気に入った街にしばらく滞在するような旅をしてみたいと考えています。

また日常生活でも月に一度は一流レストランでの食事を楽しみ、夏は潮風を感じながらサーフィンを、冬は雪山でスキーやスノーボードを。
そんな季節の移ろいを味わうような暮らしを続けるには、やはり経済的なゆとり、時間の自由、そしてそれを楽しみ尽くすための健康と体力が必要だと感じています。

50代の今だからこそ、お金・時間・健康を再び自分の手に取り戻したい。

ここに、私の投資宣言をします。

もう一度、人生を動かすために。
「お金のために働く」人生を卒業し、
「お金を働かせて、自分の時間を取り戻す」人生へ。

そして、宣言します――
私は、投資資産だけで1億円を目指します。

ただ投資で叶えたいのは、金額ではなく自由だ。
家族と旅に出る時間、一流の食事を味わう余裕、
好きなことに心を使える生き方。

私は、50代からもう一度挑戦する。
老後の不安に怯えるのではなく、これからの人生を攻めて生きるために。

お金に支配されるのではなく、
お金と共に、人生をデザインする。

それが、私の投資宣言です。

このメディアでは、私自身の投資プロセスをすべて公開していくつもりです。
成功も失敗も、リアルな数字も含めて。

詳しくは、次回の記事「50代から投資資産1億円を目指す理由」で、人生100年時代を見据えたリアルな試算をお伝えします。

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この記事を書いた人

こんにちは、おかだ しょうざぶろうです。
2008年に入社した大手IT企業で、ビジネス開発や新規事業を担当してきました。数年前には子会社に出向し、教育事業の立ち上げを責任者として担当しました。
それ以前は、IT業界専門の人材サービス企業で人材紹介サービスの新規事業立ち上げに携わり、最終的には人材紹介事業の責任者も務めました。
大学4年生、高校1年生、中学2年生の3人の父親でもあります。
「Journey from 50」では、投資・副業・起業・健康・学び・旅・食・子育てなど、50代からの挑戦をプロセスごとにリアルに発信。結果だけでなく挑戦の過程を共有し、読者の皆さんと一緒に「人生に遅すぎることはない」を体現しながら楽しむことを目指しています。

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